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どこまで知ってる?日本の皮革産業の歴史と名所の紹介

カバンや靴・財布などの皮革製品。
その革自体もメイドインジャパンであることが製品に求める特徴の1つになってきました。

革のブランド化です。

日本には多くのタンナーがあり、上質な革を作っています。
その品質は、メイドインジャパンの革製品に利用されていることからも明白です。

今日、日本のタンナーの革はブランド化(姫路レザーなど)していますが、
革の歴史をさかのぼってみると日本発の技術ではないことが分かります。

今回は革の歴史から、日本の代表的な革の産地をまとめます。

革の歴史

日本においては、飛鳥時代に朝鮮大陸からやってきた「渡来人」によって革の加工技術が伝えられてきたと言われています。
このころの日本の都は京都で、一番最初に利用された動物が鹿でした。

牛や馬などの大きくて硬さのある皮は、もっと後の時代(江戸時代ごろ)に加工技術が伝えられたと言われています。

鹿の革

鹿の革はしなやかで、丈夫で加工しやすいといった特徴があります。

そのため、古くから甲冑や鎧などの武具や、馬の鞍や祭りの道具などの日用品まで様々な道具として利用されてきました。特に武具の場合、当時は鉄が貴重であまり流通していませんでした。鉄よりも鹿革の方が軽いため、頻繁に武具に使われたとされています。

日本最古の皮「亜久利加波(あくりかわ)」

大和時代に献上されていた、皮についた油を取り除いた毛皮を指します。

なめしなどはされていない為、ほぼ原皮の状態です。
それでも当時においては貴重な素材でした。当時はイノシシやクマなどと共に、朝廷への貢物のひとつとして重要な「弓弭(ゆはず)の調(みつぎ)」とされていました。

近代日本皮革産業の父・弾直樹

江戸時代において三井と並ぶほどの大富豪の一人が弾直樹です。
当時私財を投げ打って個人で外国人技師を招へいし、皮革技術の伝習所を作りました。その技術をいかして、今度は靴工場を設立し、加工などの技術を存分に教えていました。

明治維新後の経営破綻

明治維新の後、太政官布告が発令されると、部落解放令が施行。表向きの政策だったため、弾直樹が抱えていた社員は部落出身が多く、革の専売権が剥奪されました。
これによって靴工場は経営破綻してしまいます。

この時学んだ弟子たちにより、各地にバラバラになりながらも、当時の皮革産業が飛躍するきっかけとなったと伝えられています。

革の名所を紹介

日本には、全国各地に皮革産業ゆかりの地があります。

なめしの工程には大量の水が必要なことから、水源が豊富な地域にタンナーが発展してきました。

ここでは代表的な街を紹介します。

姫路

古くよりなめしの技術が発展してきた地域。
生産数、タンナーの数で日本一です。全工区の6割近いタンナーが姫路に集中しています。

なめしの行程で重要な水源が豊富にあることも、発展してきた要因。
水質もいいために、安定して高品質な革を生産しています、

浅草

江戸時代に皮革の関わる職人や、商人が集まる事で徐々に町として発展しました。
革製品における出荷量は日本一とも言われるほど、密集しています。
日本で唯一の革の博物館「皮革産業資料館」があり、日本の皮革マニアが全国各地から訪れるスポットとなっています。

豊岡

カバンのメーカーや卸商などが密集しているのが豊岡です。
カバンの歴史は日本で最も古く、1000年以上続く伝統として知られています。豊岡駅の近くには「カバンストリート」があり、200mのエリアの中に様々なカバンの店が並んでいます。日本におけるカバンの街としても有名です。

和歌山

かつては紀州とも言われた地域で、革の産地として重要な場所です。
森林が多い為、非常に風土がよいとされてきました。その環境に魅せられた皮革工業の職人たちが、自然と集まるようになり、発展したとされています。
徳川御三家のひとつだったこともあり、かねてより防具などを生産することで皮革と密接にかかわっている地域でもあります。

まとめ

昔から日本で使われていたのが鹿革だったのは、意外な事実でしたね。

使う事に自分のものになっていく皮革製品。歴史を知ると、日本製の商品を使用する時に、より一層愛着が沸くのではないでしょうか。
加工技術を徹底的に磨き上げてきたからこそ、「日本製」として世界に誇れる製品だと思います。

以上、どこまで知ってる?日本の皮革産業の歴史と名所をご紹介しました。